最近になって、コーヒーから紅茶派になった。
(凄いサプライズ。) 4月にこちらの方とお会いして、スリランカの紅茶を頂いた。 まだコーヒーを毎朝パンと一緒に飲んでた私にとって、この方の紅茶論は衝撃的だった。 「コーヒーは労働者の飲み物です。」きっぱり。 「紅茶はサプリメントです!」きっぱり!! ぱ:…( ̄□ ̄;)そ、そうなんですかね >>>>>>>>>>>> 実はわたしは中学生くらいからずっと、顔と背中にきつい吹き出物があった。 顔は徐々に引いたが、背中はずっと治らなかった。 治ってもなお繰り返されるし、痛いし、痕もひどくて、 エネルギーがわかるF先生のところにも1年余り通った。ただただ治したくて。 アトピーではないけれど、治癒を思うならアトピーを治す考えにすごくヒントがあった。 そのことがなんとなくわかった35を境に、ほとんど今はもう出てこない。不思議なほど、綺麗になった。一時かなりロハス系な食べ物以外一切食べない時期も経て、 気付いた事は、何を食べるかとか、 究極は、そこはあまり重要ではないという事実だった。 >>>>>>>>>>>> 普段紅茶を飲み始めても、 途中でやめてしまうわたしだったけど、 その方から頂いた紅茶の後に、パン似合うよとまたしても別の方から紅茶を頂き、 気持ちが動いた。 今という、タイミングも重なったんだと思う。 看護学校からの20年近くのヘビーユーザーだったコーヒー歴に終止符が打てた。 どれくらい飲んでいたかというと、 1日10杯くらい… (昔は、インスタントだったので、+大量なクリープを入れていた…異常なほど) 今思えば、それ全部。 何かを我慢する代わりに、唯一自分に許せる行為だった。 夜勤をする代わりにコーヒを飲む… 超勤をする代わりに、文句や不満を言う代わり… 寝不足を補う代わり… 無意識にいつもコーヒーを手に取った。本当にしたい事のかわりに。それでも満たされない時は、甘いものをプラスした。これがご褒美や人生の楽しみという発想なら全然おっけーだ。 だけどわたしは、いつの間にか無意識に、ただただ我慢の代償行為に摩り替わっていた。 本当に手にしたいものは何かを考えることも、小さな頃から 無意識に禁止していた。そんなことは望んではいけないと、意識にすら上がってこなかった。 なぜこんなに胃が痛い日もコーヒーを飲むのか、自分でもわからなかった。 ちゃんと気が付いたのは、最近だ。 そして思い出した。自分の母もまた、働いて帰ってきて コーヒーだけは美味しそうに飲むことを許していた。 だから、それを幼い頃からずっと … 小さな自分の目でじっと見続けて、私が肌で感じて学んだ事だったように思う。 “贅沢はしてはいけない。わがままもだめ。だけどコーヒーはいいんだなと。” 小さい頃のそれは、 どんな辛いことも幸せに変えてしまう、魔法の飲み物にみえたんだ。 >>>>>>>>> つづく…ヽ(^o^)丿
by bstones178
| 2011-06-21 22:34
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